(余談) 久米宏再生計画

案の定というか、遂にと言うべきか、日本テレビ系「A」を巡って久米宏のギブアップ発言がすっぱ抜かれる。

ある関係者によると、すでに6月分の収録は済んでいるものの7月分に関しては、19日放送の視聴率を見てから決まるといい、早ければ今月いっぱいで番組が終了する可能性もある。
... (中略) ...
また、別の関係者によると、ゴールデンウイーク明けには打ち切りも視野に入れた会議が局内で開かれ、その時点では「9月いっぱいまで頑張ろう」との結論だったという。

そんな未練がましいこと言わずにさっさと損切りした方がよい。ダメなことはすでにはっきりしている。他の時間帯ならいざ知らず、日曜のプライム・タイムという局にとっては最大の収益源を野ざらしにして良いわけがない。
番組開始当初に「こりゃ、あかん」と書いたように、敗因は見事なまでの企画倒れ。それも蓋を開けてみる前からある程度明白だったはずだ(私のような業界関係者でなくとも分かる)。自信過剰で押し通したであろう久米も悪いが、この企画にNOを突きつけなかった製作会社および局のスタッフも輪を掛けて悪い。結局のところ、久米宏というブランドに惑わされて思考停止した結果が招いた惨事(苦笑)と言える。大体あややとか若手芸人を絡めてあからさまに受け狙いに行っても視聴者には意図を見透かされるだけで当たる試しがない。映画や音楽でもそうだが、井の中の蛙状態にある業界人は、こうした一見計算し尽くしたかのようなあからさまな受け狙いが往々にして大失敗を招くという逆説を忘れがちである。その点、視聴者の方が冷徹、いや冷静である。
久米宏の今後。半年ほど冷却期間を置き、深夜帯で再生を図った方がよい。プライム・タイムでは期待先行でスタッフ共々肩肘張ってしまって同じ過ちを繰り返す恐れがある(二度失敗したら再起不能とは言わんが心理的ダメージ大きい)。そもそもNステ後は最初からそうすべきだったのだ。
この方の場合、お家芸のしゃべりを活かすには、本音放談番組とかインタビュー番組など、素のままで大人のトークに徹するというのが一番良いと思う。しょーもない(無難な)企画で周囲を飾ると碌なことないし、ある意味やりたいように好き勝手できる深夜帯が再生にはふさわしい(この点草野仁は頭いいよ)。
かつてNステで「最後の晩餐」というような対談コーナーがあって、「仮に地球最後の日が来たとしたら何を食ってから死にたいか」というような他愛の無いテーマで対談をやっていたことがあり、例えば渡哲也とトークしていた時は最高にいい雰囲気が出ていて、今でも記憶に残っているほど印象的であったことを思い出す。あれをもう一度取り戻すべきだ。
UPDATE (6/19): 対談「最後の晩餐」は6年前に一度出版化されていたようだ。これをそっくり再現すべきと言うつもりはないが、このようなシンプルな対談、あるいは掛け合いが一番似合ってると思うよ。スタッフもその辺のところを分かってやらないと、今のままでは久米さんはNステという過去の栄光にしがみついているだけの裸の王様に成り下がってしまう。"A"の失敗をもネタにしてしまい(そうでもせんと辛いやろ)、初回は敢えて黒柳徹子をゲストに毒の吐き合いでカタルシスを図るとか(笑)。
UPDATE (6/21): 当然のように打ち切り決定。「初めに久米氏ありきで、制作現場には後から企画を練るよう指示が下りてきた。本末転倒。うまくいくわけなかった」との声。現場スタッフもある意味被害者だったわけか。「久米氏の起用は同局上層部の意向が強く反映したもの」らしいが、満足な企画もないままそれに易々と乗っかった久米さんもやっぱり共犯者だなぁ。何度も言うように、取っ掛かりとして深夜帯等肩の力が抜ける時間帯で再出発した方がよい。逆にプライドが邪魔してゴールデン枠に固執するようなことになると、「久米ありきのつまらない企画」再現で同じ失敗を繰り返しかねない。